2018年08月28日

ミスターJ思い出「上海国際奇術大会」「3」中国マジック村

 ミスター思い出「上海国際奇術大会」「3」中国マジック村

 コンテストも終え、各国のマジシャンと共に、山西省の
太行山麗区のマジック村を、大型バスで、見学に出かけた。

 上海の街を抜け、山道を走り、山間の村に着いた、ここが
村興しのために、村活性化のため、当時、村の代表の趣味
であったマジック中心の村という、村興しが行われて、同
村落に、希望の光を与えたという。

 この村は小さく、とても貧しい農村であったらしい、今では、
村民の半数がマジックをやり
 舞台で公演できるマジシャン数百人もいるそうだが、この時はまだ、
少なかった。

 屋外の舞台でのショーを見ていると、山から山の城に向けて
人間大砲を打ち城のテラスにその人物が現れるという
屋外ならではの大きなマジック。

 京劇の変面、雑技団の舞踊、など国技を取り入れ、
見事な動きで、我々を、堪能せせてくれたことは、
村興しマジックに、相当、真剣に取り組んでいることを
感じた。

 場所を変えると、世界のマジック界に貢献した人物館など、ここに
日本人としては、小野坂氏一人が、大きな写真で、存在した、氏は
外国語も堪能故、海外のマジシャンとの交流も多い方だ。

 そして、クロースアップマジックの部屋、カードマジック、
カップ&ボールなどは、やはり、歴史を知る上においても
外せない演目なのだろう。

 まだオープンして間もないせいか、まだ完成以前なのか、現地の観光客
は、少ないが、村の人々には、世界各国から来たプロマジシャンに見えた
のだろう写真や、サインなども求めてくる人々もいた。

 園内を色々歩き回り、屋内のトイレは、いいが、屋外のトイレの整備には
ちょっと?
 男性用は、壁に向かって用を足し、足元の溝を流れる、女性用は、ドアが
座る位置にだけ、足元と、顔が見えてしまうという、これも、園内では、用が
足せない!

 売り場も、閑散としていたが

 現在では、観光バスもくる、観光の名所として
この貧しかった農村は、マジック村として、大成功をおさめ
中国一流のマジシャンの演技が見られる、村として名声を上げ
賑わいを見せているらしい。

 村代表の趣味からスタートして、村民の協力を得、村全体が
力を合わせて、努力の日々が、今日につながってきたのだろう!

 辛抱強く、熱意、努力、そして、良いもの、優れた人物の参加によって
成し遂げられることを感じた、良い思い出と共に、今のマジック村
まで成長したことに、自身の学びとしても、心にとめておきたい、
出来事の一つである。

 では、また、ミスターJ。




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2018年08月26日

ミスターJ思い出「上海国際奇術大会」「2」コンテスト

 ミスターJ思い出「上海国際奇術大会」「2」コンテスト


 日本代表は、グループごとに分かれ、行動することになり、
私は日本人として一人、他外国勢、言葉もわからず、ただ、
ホテルロビーサイドの日程表をみて、何日何時のバスで、会場入り
だけを頼りに行動する。もちろんちょっと探せば、中国人通訳さん
はいる。

 その日の順番表で、出が4〜5番目になって、舞台袖に入り、まずは
リハーサル。

 ステージは、横18メートル、奥行き10メートル、中央に階段が
あり、それを上ると、東屋らしき建物がある、私は、そこでの演技を
選んだ。

 音が先で、ピンスポットが当てられ、スタート、板付きで、空手の
型を取りながら、シルクからファンカード、1枚からファン、Wファン、
トリプルファン、両手Wファン、小さくなり消えるファン、口からカード
そして、サークルファン。型と取り、正拳付き、引きの手で、腰ネタを
スチール。両手10指の間に一瞬のロールダウン、フロントパームから中指で
跳ね上げる飛ばし、そして、ファンの量産、一枚出しからファン、そして
ジャンボファン、機械仕掛けのカード吹き上げからマンモスファンの手順。

 この間2度の、スモークがたかれ、自身もとても気分よくリハーサルを
おえた、翌日の本番、リハ通りスタンバイ、いよいよ演技、しかし、本番で
スモークが出てこないまま終えた。ちょっと変だな!と思ったが、後で
考えると、きっと、ステージ中央の奥のため、スモークを出すと、手元の
カードが隠れてしまうのかなと自分で思い納得。私の場合は、音源以外
照明、スモークなどは、舞台監督にお任せしていた。

 その日を終えれば、ほかのコンテスタントの演技を見ることができた、
客席の私のすぐ後ろには、世界的に有名な、中国生まれで、カナダ国籍
の「ジュリアナ・チェンさん」(私が、フロントパームから中指ではじいて
宙に飛ばす演技を参考にさせていただいたマジシャン)がいて、
ビデを撮影をしていた。

 コンテスタントの中で印象に残ったのは、照明を月のあかりに見立て、
その月明りの闇の中、フローティングシガレットを演じた、男性マジシャン。

 また、ドイツのマジシャンで、アンブレラを出し、雨に歌えばの音楽
で、タップダンスを踊った。

 そして、中国のマジシャンは、ステージの天井を再度から横になり上り
天井では、逆さのまま歩いてゆく、これは中国雑技団の人かと?

 また、中国京劇の変面、演じたマジシャン、ラスト大砲で、ステージ
いっぱいの、紙吹雪を散らす、ド迫力。
 この演技を見て、のちに私も、7度の変面と、カードマニピュレーション
を行ってゆくことになる。

 また、フランスの、マジシャンで、ダニエルビダル似のとてもキュート
なマジシャンも、男性の多い中、光っていた。移動のバスの中では、
超有名な美男子マジシャン、クリストファーハート氏が、しきりに
話しかけていた。しゃべれない私は、無言。
バスでホテルに送られ、コンテストの発表待ちである。

 ほかの組が終えるまでは、ホテルに帰っての自由時間である、ホテル
の周りを一人で散策、露天商の人との、交渉を楽しんだり、ヒスイ店、
金を扱う店、長い時間ぶらついた。

 夕食は、ホテルでの、中華のコース、この豪華な食事が、毎晩であった。
この招待だけでも、満足であった。

 次回は、中国マジック村が創設され、その見学に行った時の事を!

 では、この辺で、 ミスターJ。




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2018年08月23日

ミスターJ思い出「上海国際奇術大会」出場「1」

〇 ミスターJ思い出「上海国際奇術大会」出場「1」

 中国から、連盟に国際奇術大会出場の案内が来たと、会長
が言われた、演技のビデオを送り、審査に通れば、招待される
とのことで、自分のビデオを送り、出場できることになったのは
1997年のことであった。

 上海では、街おこしの祭典として、マジックに力を入れている
時であったのであろう。

 日本記述連盟からは、会長、九州の伊藤さん、愛知の坂本さん、
そして、東京の私の4組が、出場することになった、私は、
ベレー帽にサングラス、空手の型を取りながらの、アクション、
カード、マニピュレーションで参加、ほかにも日本人2名がいた。

 アメリカ、カナダ、中国、台湾、ドイツ、フランスと世界から、
マジシャンが集まってきた、世界の舞台での自分を感じていた。

 参加者は、それぞれ、現地集合ということで、上海の空港には
日本語を話せる中国の方が、出迎えてくれて、宿泊ホテルにお連れ
いただき、まずは、チェックイン、片言の英語で!
 ホテル前の通りには、露天商が、数多く出ており、衣料、貴金属、
ヒスイ、かけ塾、食料、玩具、いろいろの出店されていた、人の
賑わいもすごい、この人ごみの中を、我々を乗せた、バスは、
人をひいちゃうんじゃないかと思うくらいの、感じで、
かき分けながら走る、運転にも、驚いた。

 いよいよ、1週間における、コンテスト、観光、自由時間を過ごす
事になるが、大移動以外は、何か所かのコンテスト会場に分散され
るので、現地通訳さんがいるが、昼は単独で、行動することになる。

 夜は、一流レストランでの、豪勢な食事、もちろん招待である、
飛行機代と国際大会出場参加費1万円のみであった。当時の中国の
役所勤めの方の、給料が1万円の時代であったと、通訳さんが言って
いた、一週間の一流ホテルでの生活、食事には、大満足であった。

 また当時、世界のトップマジシャン、プリンセス天功軍団、
クリストファー・ハート、アリボンゴ氏、が上海で、ショーを
行っていた、そこにも、プリンセス天功氏のマネージャー、森
しの招待で、連盟の面々が招待され、素晴らしいショーを見ること
ができたことも、いい思い出である。

プリンセス天功氏は、華麗な鏡剣刺しイリュージョン、悪魔が消える
、アラジンと魔法のランプなど、また、冒頭のあいさつは、中国語で
アメリカでは、本格的な英語を学びと、その国の言語を、完全に
覚えると、マネージャーの森氏は言っていた。

クリストファー・ハート氏は、幻の手、両手に持ったカーテンの中から
別の手が、その手がいろいろ演技、ラスト、その手がマジシャンの肩
を引っ張りはけるという内容、そして、私が講習内容に好んで使う、
広告の復活、これがよかった、音楽と共に広告を破き、破き終える
と音が止まってします、首を傾げ(この演技力、客に向ける視線、
椅子を逆にまたいだ姿で演じる)破った広告を重ね合わせると
音楽が鳴り、また破くと音が止まるという、音と、演技、パフォーマンス
が一体化している。

アリボンゴ氏は、やはり、初心者講習でやる、新聞ツリーを、きれいな
緑色の紙を巻いて、立てよつわりにして、ツリーに伸ばすという、
オープニングであったが、氏のコミック的な動きがまた面白かった。
氏の感じは、日本のトニー谷氏(あなたの、お名前、なんていうの〜
をそろばんをはじきながらの演技が有名)雰囲気にも感じられた。

今日は、この辺で、上海国際奇術大会の思い出、は、また次回に
続けたいと思います。

ミスターJ。





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2018年08月21日

ミスターJ思い出「日本海マジックフェスティバル」

〇 ミスターJ思い出「日本海マジックフェスティバル」

 新潟でジョージ本田氏が、主催する、マジックコンベンションである。

氏は、とても美形でおしゃれで、スマートなマジシャンである、飄々と
した、演技で、紳士的で、私の大好きなマジシャンでもある。

 決めたときのポーズ、指先、燕尾服、まるで宮廷手品師のような雰囲気
私も、燕尾服をと、平成の手品博士、元はじめ氏より、大阪のテーラー
田中さんを紹介いただき、燕尾服を注文したら、ジョージ本田さんのも
作ったことがあると、言っておられた、新幹線を使って、わざわざ東京
の私の店にまで、来てもらった。

 この燕尾服、さすがマジックテーラー田中さん、いたるところに
隠しポケット、ハト出し、消失、また、傘だし、襟裏から花出し
ズボンのポケットは、出し入れしやすい良い斜めカットのポケット
袖の外からもシルクが出せるなどなど・・・・
値段もそれ相応だが、これは今でも着ることがある
いい作りのものである。


 1997年の第一回のコンベンションで、全国マジックコンテストが
行われ、これに私は、単独でチャレンジした。

 大会は、2日わたり開催され、初日、ディーラーショー、コンテスト、
新方の銘酒と海の幸を頂きながらの、トッププロのショー、そして
飲み放題のガラショー。
 2日目は、ディーラーショー、レクチャー、コンテスト発表とマニア
は数多くいる、新しい道具が変えて、教えてもらって、ショーを楽しめる。

 私のコンテストの演目は、空手の形を取りながら、カードマニピュレーション
を行った。極真のビデをを買い研究、練習し、正拳付きでカードをスチールできる
特徴を生かし、3重から4重のファンカード、口からカード、カード投げ
回し蹴りで風船を割り、ゴーストが現れ、カードの滝が落ちるという内容で。

結果は4位であったが、上位3までは、現在でもプロで活躍のマジシャンだ、
残念ながらお一人は亡くなられたといううわさを聞いたが、皆それぞれ、個性
豊かな演技であった。

入賞6位までの記念撮影もあり、「THE magic」という雑誌にも記事と写真を
載せていただいたおもいでがある。このジョージ氏のコンベンションは、現在
も続いているという、息の長い、そして、内容のとてもいい、日本で行われる
コンベンションの中で、トップクラスで、ファンも多くいるようだ。

ミスターJ。
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2018年08月17日

ミスターJ思い出「スピリット百瀬氏活動再開」

〇 ミスターJ思い出「スピリット百瀬氏活動再開」

  百瀬先生活動再開、おめでとうございます

 百瀬氏は、日本のトップマジシャンで、世界にも出て行かれ
神の手という、漫画本にもなった、超絶テクニックの持ち主
であったが、昨年8月に体調を崩され、事務所を締めて
治療に専念され、今日2018年8月17日に、活動再開の
はがきが届いた。

 スピリット百瀬氏は、多くのプロマジシャンを育て、多くの
ビデオも出されていて、以前には、同じ足立区に在住でした
先生がお忙しくなってきて、先生のマジック教室を私が引き継いで
講習していたことも、思い出です。

 その関係もあり、私のお店にもよく見えて、ヤールシルクの
振り方、カードの扱、指の美しさを追求し、パスは永遠の課題といい
マジック材料も、店に持ってきてくれたり、カードなども、いただいた。

 二人で、ビール瓶にきゅうりを立て、カードを投げて切る、時には
葉生姜が切れるか、大根はと、カード投げを一緒にやった思い出
もある。

 新春かくし芸大会での、酒井正章さんの、ローソクの炎を、カード
投げできるという技をご指導もなされた、この時、やはり、酒井さん
という芸人さんの、すごさを感じたといっていた、カードが山のように
投げられても、成功するまでやり続けていたという、この精神力、やはり
かくし芸のトップを維持しつづけた、熱意を語っていた。

 また、百瀬氏のアマチュアマジッククラブの講習に同行させて
いただいたり、氏の事務所に行き、外国マジシャンのビデオなども
拝見させていただいたり、身近なお付き合いをさせていただいて
いたが、いつしかそれぞれが忙しく、縁が遠くなって、賀状の
挨拶だけになってしまっていたが、もう、十年以上前に、奇術会(
児玉会長)の熱海大会で、学習院の女子大生が、百瀬氏の指導の
元、プロマジシャンになったというご紹介を得て、ロープマジック
(瞬間結び)ヤールシルクの(シンパセティックシルク)
ビリヤードボール(増加、減少、カラーチェンジ)このボールもお手製
とか、百瀬氏本人を見ているような、見事な先生の指導の元の演技
であった。

 今でも、お店のお客様、岡本さんとは、良く先生の話も、マジック談義
の中では出てくるが、今回、お元気になられ「古きを大切にしつつ、
新しいものに目を向け、今後ともマジックと関わり続けていきたいと、
強く思っております」のはがき!

 お世話になった、北見先生、松旭斎天暁師匠偉大な先生がなくなられ
れしまいましたが、百瀬先生が、元気に活動なされたことを、嬉しく思い
今後も、マジック界のトップでの、ご活躍を、期待しております。

 ミスターJ。






posted by ミスターJ at 15:55| 東京 ☀| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月15日

ミスターJ思い出「全国のマジシャン長岡に大集合」

〇 ミスターJ思い出「全国のマジシャン長岡に大集合」

 新潟県長岡の小林幸一氏が開催する
プロ、アマ合同のマジックショーである。

 小林氏は、マジック界でも有名な方で、一時期は、
新潟テレビ局を貸し切って、ショーを放映していたそうだ。

新潟地震の後も、単独で、支援活動で東京にも来ていた、
まことに、面倒見の良い方である。

 ショーは新幹線の長岡駅前のNCホールで行われるが、
私は、幸条スガヤ氏のお世話で、このショーに出演させて
いただき、後、何年もご招待を受け参加させていただいた。

 前夜祭は、小林氏のおもてなしで、初めての時は北見先生
幸条スガヤ氏、マギー隆氏、などと、新潟のうまい刺身と
名酒を頂き、一流プロとの、雑談に仲間入り。

 翌る日、午前のリハーサル、そして本番となる、そして
参加者全員の打ち上げ、やはり、豪勢な料理がふるまわれた。

 北見先生は、我妻、幸条氏は人間に変わるおかめゾンビ
これは、氏を世界的に有名にした作品である、マギー氏は
軽妙なトークマジック、小林氏は、白糸の滝がうどんになる、
そしてヒンズーバスケットという人体剣刺し、独特の味がある
私はマイザースドリーム。

 私は、ステージいっぱい雑木林を作り、宙よりコインをつかみ
ペールにを落としてゆき、いっぱいのコインは、札束に代わる。

 そして、小さな木の風船を、カードを投げて割ると、ゴースト
が現れ、金貨を両手に持って、金貨が流れ落ちる。

 次に、一枚の布が宙に舞いそこから剣が出現、その剣先から
炎、その炎は大木のつるに沿って燃え上がり、ハトが飛び立ち(
作り物)そこから札束が流れ落ちるという構成である。

 この演技は、打ち上げの時、北見先生のお褒めを頂き、今後も
これは、自分の中の大切な演技としている。本物の1ドル銀貨を
使い、入手には苦労もあったが。
 先生の個人的に教えた上げたい!というありがたいお言葉もいた
だいたが、先生は、プロ協会の会長さん、私は連盟の役員であった
ので、残念ではあったが、甘えることができなかった。

 のちにも北見先生とは、いろいろな場所でお会いするが、いつも
好意的に接してくれて、芸も素晴らしいが、お人柄も素晴らしく、
堂々としていて、威張らず風格がある、大好きで、尊敬する、
マジシャンでした。

ミスターJ 。
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2018年08月12日

ミスターJ思い出「明治生まれのマジシャン」

〇 ミスターJ思い出「明治生まれのマジシャン」

 大変にお世話になったマジシャン、松旭斎天晴氏、

氏は、明治生まれで、大正、昭和、平成と頑張り続けた
素晴らしい人物と思い、ここに紹介させていただきます。

 戦前は、九州福岡で、不動産業、女郎屋、マジシャンと
戦後も不動産業と、マジシャン。
 そして、70過ぎて、アメリカで1級整体師の資格を取り
自作の解剖図を描いて、開業していた。金さん銀さんがよく
テレビに出ていた時代、先生もよくテレビに出ていた。

 奇術連盟の全国大会は、北は北海道、沖縄まで、参加する
事が理想であったころ、氏はアシスタントを連れて、出場する
この時、私はいつもアシスタンとの一人として、お手伝いを
させていただいていた。

 午前の道具組み立ての際に、流れを、また、どこでどうする
かを大会当日に教えていただき、本番を演じていた。

 独自の道具で、何しろ面白い、大会出場の時は、大いに、一番受ける
マジシャンであった。作成した道具も何点かいただき、大切にしている
説明は、全て筆書きで、丁寧に書いてある。
 先生が販売していた道具も、全て、説明と絵は、手書きであった。
千円を折り畳んで開くと五千円に、また折り畳み開くと1万円に、
小さな箱にウサギを入れ、水を入れ、剣を刺しす、また、サルの
綱渡りなど、ラストに3人で、大旗を振る、この時代を懐かしく思う。

 先生はいつも「小宮さんがんばらにゃあ〜いかんよといって、
アシスタントの方は、しぇんしぇいは、きびしいから!と」

 大会を終えると、すぐ道具は郵送し、アシスタントの方と、
「夜のはとバス観光」と会場を後にしていかれた。

 年齢を感じさせない、パワフルな先生だった。チャレンジ精神と行動力、
そして、ものにしてゆく!
 やさしさを持った明治生まれのマジシャン、90歳過ぎまで現役であった。

 人間的にも、学ぶところが多かった。

 ミスターJ。




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2018年08月09日

ミスターJ思い出「世界マジックシンポジウム」

〇 ミスターJ思い出「世界マジックシンポジウム」

    SAM東京大会

 世界マジックシンポジウム、SAM東京大会が開催された、
当時の会長は、マーカ天童氏であったとき、私は、この
コンテストに、一人参加した。

 ハワイ、台湾、日本のマジシャンが集まり、ステージ部門では
イリュージョンあり、スライハンドあり、コミックありで、
クロースアップ部門のコンテストもあった。

 私は、ステージ部門に出場、ダンシングケーン、面変え、そして
3連の6本リングを演じた。

 マーカ天童氏の軽妙な司会のもと、コンテストは終えた。

 いよいよ、結果発表、1位はハワイ在住の女性マジシャン、
彼女は、レコードのカラーチェンジの演技であった。
ステージには、大型のジュークボックスが置いてあり、
エプロン姿で、登場、レコードの色替えをして、ジュークボックス
に入れると、違う音楽が鳴り、これに合わせて、ステージいっぱいに
踊りまくる、(動き、表情がとてもチャーミング)、再びレコード
の色を変え、ジュークボックスに入れると、音楽が変わり、彼女が
踊りだすという、楽しいマジックであった。やることはそんな難しい
事ではないが、ステージ上での彼女のパフォーマンスが、観客を楽し
ませていた、賞受賞の時に、彼女は、カッパーフィールド氏のアシスタント
をしていたことがあるとのことで、演技力は素晴らしかった。

 私は、この時演技賞をいただいた、後、審査員の一人に、アドバイスを
求めたとき、「小宮さんは、ジェフではないのですから」との一言。

 私は、6本リングを、世界的なマジシャン、ジェフマクブライド氏の
3連6本リングを、そのまま演じていた、もちろん仮面も似たような感じ
のものをつけて、これは、審査基準の、1、技術点、2、演技構成、
3、オリジナリティーこの3番目が、マネであるということだった。

 やはり、独自性というものが大切であるということはわかっていたが、
ジェフ氏の、3連6本リングの見せ方はとても好きだった。
ほかのマジシャンとの楽屋裏の雰囲気、ステージに上がった時の、
自分の映像が、今でも思い出せる、よい経験と思い出になっている。

 ミスターJ。
posted by ミスターJ at 13:32| 東京 ☀| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月07日

ミスターJ思い出「SAMジャパン」

 ミスターJ思い出「サムジャパン」

 SAMとは、・・・アメリカのマジック団体で
世界で一番古くからあるマジック団体である。

SAMジャパンを、藤山慎太郎氏が発足させ、私も
城北支部に入会させていただいた。支部長は
ナポレオンズのボナ植木氏であった。

会から送られてくる、SAMという雑誌が楽しみで
あった。
 英語文の雑誌と日本文の雑誌2冊が届く、そこには
世界のマジックニュース、カタログ、マジシャンの事
書籍のことなど、いろいろ乗っていた。
 日本語の雑誌にも、日本、世界で活躍するマジシャン
の事種明かし、ニュース、カタログなどいろいろ。

 こんな思いでもある、総会の時、出席させていただき、
みんなで、食事をとった後、藤山氏が、簡単なカード
マジックを披露、それは、私が今でも時々やっている

指に吸い付くカード・・カード1組とハンカチを使用する

 お客様に引かせたカードをトップコントロールしハンカチ
をかぶせて、指で静電気を起こすふりを、2,3回そして
ハンカチの上に人差し指をつけ上げると1枚カードが
上がってくるというもの、これはハンカチの陰で、小指を出し
1枚のカードを上下で挟んで上にあげる、そして左手パケット
を、テーブルに置き、ハンカチの中のカードを1枚取り出すと
お客様の選んだカードであるという、カードマジックだった。

 また雑誌の中では、ボナ植木氏が、こんな事を書いていた、
「マジックを一つ覚えたら、何か他の事も覚えなさい」と!
これは、マジックをより深みのあるものにするには、人生
の経験を積みなさいということだと、私は、思った。

 ナポレオンズさんの、演技はコミックだが、これは、独自性
を出すため、また営業としてのスタイルだと、思っている。

 ボナ氏のいろいろを読むと、マジックに対する考え方がとても
しっかりしたもので、マジック大学という講座も載せていた
記憶がある。

 ボナ氏の考えを察すれば、一時テレビで、何分間に何十の
マジックを演じられるかの、番組があったが、見事なもの
であったが、ただ演じたというだけで、面白さだけであったのが
私は残念。
 氏は素晴らしいマジック演技ができる方なのに、やはり
営業用は本心にそぐわない、ところで頑張ることも必要かと?

 では、今日はこの辺で ミスターJ。
posted by ミスターJ at 13:21| 東京 ☔| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月05日

ミスターJ思い出「全国奇術大会での声掛け」

〇 ミスターJ思い出「全国奇術大会での声掛け」

 日本奇術連盟の全国大会を観に行って、数回目の事である
客席の、最後方の席で見ていた私の隣に、横山一九しがすわられた

横山氏の事は以前から存じ上げていた、北区マジック友の会の
当時の副会長さんであった。声をかけ、「小宮と申しますが北区
マジック友の会に入会させていただけませんか?」と横山氏は
是非、おいでくださいと!

 例会日の月日を伺い、入会させていただいた。会には、後に
大変にお世話になる、菅谷幸一氏(幸条スガヤ氏)蓮見やいこ氏
が在籍。

 講師は、連盟の長谷川ミチ氏、関てるゆき氏が見えていた、
一流講師の講習を受け、マジックに浸かってゆく、道具もいろいろ
揃え、自分でも作成していった。そして凝って背景の道具も!

 会の吉田氏には、譜面台から、マジックテーブルを作成すること
を教えてもらった。氏は、年配ではあるが、心穏やかな人で大変に
親切にしていただいた。

 月日を重ねてゆくうち、年一回の発表会を迎え、出演、スポットと
照明の中で、出待ちの緊張感、無の心で演技、終えたときの達成感
いいものでした。

 また北区マジック友の会は、営業面でも盛んであった、横山氏と
会場の下見、打ち合わせなども、何度も、これもよい経験。

 また、会員の方を車で迎えに行き、現地入り、お送りすることを任せ
られ、吉田氏を進行で、美人の佐々木さん、関さんと、他メンバーで
マジック営業、ギャラの分配は、裏方さんに徹してくれた、吉田氏に
人数均等割りの半端は吉田氏に、進行さんあっての演技アリであると
私は思いいていた。

 マジック実戦経験を積んでゆくうちに、「人間関係」「人それぞれのの性格」
また「自分の言動」「自分の感情コントロール」もしてゆかなければ
ならないことを学んでいった。

 これはマジックを演じる上においても、必要な要素であると思う。
 長くなるので、今日はこの辺で!

 ミスターJ。

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2018年08月02日

ミスターJ思い出「日本奇術連盟歴史と功績」

〇 ミスターJ思い出「日本奇術連盟歴史と功績」

   ☆ 日本奇術連盟の歴史と功績 ☆ 

 今日は、私が、マジックの世界で、いろいろとお世話になった
日本奇術連盟の歴史と功績を、簡単にご紹介させていただきます。

 日本奇術連盟は、長谷川智初代会長が、「影同人社」という名で
奇術研究の団体を立ち上げたのが最初で、現代日本のマジック界の
発展をさせていかれた、知る人ぞ知る方々である。

 高木氏、平岩白鴎氏、榊原氏、倉持氏、坂本氏、などプロマジシャン
を育ててきた方々で、書籍なども多く残されている。

 1936年、日本奇術連盟と改称され、初代会長は長谷川智氏が就任、
       北は北海道から、南は沖縄まで全国的な組織となってゆく。

 1940年、日本初の、第1回全国奇術大会を開催。

 1950年、2代目会長、長谷川治子氏、会長就任。

 1976年、帝国ホテルに置いて、日本初の国際奇術大会を
       4日間にわたり開催。

 1976年、日本奇術連盟協力のもと、テレビ朝日で
       「輝け!日本一マジック大賞」が始まる。 
       1993年まで、長い間年月にわたり
       放映された、ここから多くのプロマジシャンも
       育っていった。

 1989年、京王プラザにて、第2回国際大会を開催。
 2003年、2003年には、全国奇術大会も第57回を迎えていた
      、同じく夏の催し、プロアマが一緒に楽しみ、
       マジックショー、歌謡ショー、ディーラーショー、
       レクチャー有りの、「熱海お楽しみ会」も27回
       を迎えていた。

 2004年、新年会にて、長谷川ミチ氏が、3代目会長に就任された。
       のちに、私も幹事から、副会長のお役を頂き、相談役、
       そして、現在は参与のお役を仰せつかっている。

 以来、2018年の現在まで、連盟の3大大会が、毎年開催されている、大会においては
朝日生命ホール、新宿文化センター大ホール、1500人ぐらいのほーるっだったと思う
、新宿コマ劇場の下のシアターアプル、四谷区民ホール、新橋ヤクルトホール、いろいろな
会場を経験させていただいた。

 新年会は、新宿ワシントンホテルに決まっていた。

 夏の大会は、西熱海ホテルでの開催であったが、このホテルは今はないのが残念だ。

 連盟の歴史と共に、歩ませていただき、いろいろな場所、ステージを経験させていただ
いたことを、思い出しながら、これからも少しずつ、記していきたいと思っています。

 ミスターJ。


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